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地域の想いを未来につなげる第8次中期構想

東京保健生協創立60周年の節目の年 地域の想いを未来につなげる

東京保健生協は、1961年「生協法人」として創立して今年60周年の節目の年を迎えます。
医療生協設立時から1988年までの27年間専務理事として尽力された足立節男さんに当時の状況や職員に期待することなどうかがいました。

専務理事 足立節男 さん

27年間専務理事として尽力された足立節男さん

Q1. 東京保健生協の成り立ちは?

東京保健生協はセツルメント運動が原点です。

1951年に結成された「日本医大セツルメント」は氷川下地域に入り活動を開始しました。当時の氷川下はまだ空襲の傷あとを回復できず、焼け跡に建ったバラック小屋や防空壕のままの住いや、共同水道なども一部残っており、医者もなかなか来てくれない医療過疎地域でした。セツルメントの医師や学生は地域を回って診療や相談を行っていました。
当時、健康保険加入者は約半分、また保険証があっても医療費は高く医療にかかれない状況だったので、セツルメントの活動に対する期待はとても大きかったのです。

1953年5月「毎日診療して欲しい」の強い要望で3畳間を借りて診療活動を開始しましたが、来院する人がどんどん増え、セルツメントの学生さん・地域の方々のご支援で同年9月、文京区千石2丁目に「氷川下セツルメント診療所」が開設できました。
「親切でとっても良い」評判が拡大し、みんなで力を合わせて1957年7床の有床診療所を作りましたが、更に差額なしで入院出来る病院が欲しいと要求が爆発的に広がっていきました。そして60年前の1961年医療生協の設立に至ったのです。

Q2. 「生協法人」を選んだのは?

当時病院建設には3千万円が必要でした。1千万円は初代理事長の中村英彦先生がお父さんの遺産から出してくださるとの申し出がありましたが、残り2千万円を10年以上の長期で借りることはほとんど困難でした。ただ一つ「東京労働金庫」だけが生協法人ならお貸しできるとの返事をいただきました。

丁度この当時、地域の人たちは、東大生協の援助を借り、出資金を集めて購買生協を作り、「私たちのお店」を作り上げる経験をもっていましたので、「私たちの病院」ができると、ご賛成をいただきましたので、いろいろ困難もありましたが生協法人にすることを決めました。

Q3. 今後の東京保健生協、職員に期待することは?

新型コロナウイルス感染症の対応、職員は本当に大変だと思います。
セツルメントのインターンの先生は学校卒業後ほやほやなのにたくさんの患者さんが集まりました。それは地域の要望に応えたからです。東京保健生協は今コロナ禍の中、どう地域の要求に応えていくのかが大切だと思います。出資金は東京保健生協に対する期待。経営的にも組合員を結集しないと大変です。これまで作ってきた財産を守っていくだけでなく、積極的に地域の組合員のいのちと暮らしを守ることに尽力して欲しいと思います。

  • セツルメント運動:
    イギリスが起源。大学は学問の象牙の塔を出て、地域に入り相手の目線で理解して貧困問題などを解決しようとする運動。

第8次中期構想(2021年〜2025年)スローガンは、人につなげる、生きるにつなげる、未来につなげる

スローガンに込めた思い


「つなげる」というワードがwithコロナ時代のキーワードになります。
「つなげる」ことを私たちの責務として、より主体的に、積極的に、社会的弱者・社会的孤立者を誰一人置き去りにすることなくビジョンを示して取り組むことが求められます。

このコロナ禍においても人との繋がり、共同することを求めています。こうした思いを従来とは違った形でもつなげていく、困っているけど声を出せない人を必要な社会資源や医療福祉介護につなげ命の平等を守り抜く、厳しい情勢の中で経営はひっ迫していますが事業を維持し、私たちが求める地域包括ケアを実現し事業を未来につなげていく、このような思いで考えてみました。

第8次中期構想は第71回通常総代会で決定します。支部、協議会、職場で議論をし、東京保健生協の未来を一緒に考えましょう。

東京保健生協地域包括ケア(医療・福祉・介護)
東京保健生協地域包括ケア(医療・福祉・介護)

憲法を柱に第8次中期構想をエネルギーに変えて主体的に活動していきます

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